『傘のパクり合い』が、いちばん身近な『恩送り』の対義語なんじゃないか。

『傘のパクり合い』が、いちばん身近な『恩送り』の対義語なんじゃないか。

考えごと

自然は気まぐれだ。

「出かけるときは、晴れていても夕方は雨が降る」なんてこともあるし、最近では夏場のゲリラ豪雨で突然の雨に見舞われることも多い。

 

 

『天気予報を何で見るか。』

つい数年前までは、その情報源はテレビや新聞だという人が最も多かっただろう。

 

でも、最近の若者はテレビ・新聞を見る機会が少ない。情報収集をネットに頼り切っているからだ。

スマホの情報収集は自分で能動的にするもの。だから、ぼくを含め最近の人は【空模様について全く知らないことが多い】というのを感じていた。

 

そんな現状で、突然の雨、若者の周りでたまに行われていること。

それは誰のものか分からない傘を無断で自分の所有物にする—俗に言う『傘パクり』である。

 

こんなことを言うと「お前が付き合う人、ガラ悪すぎ」という指摘がありそうだ。

確かにぼくの周りの治安も良くないのかもしれないけど、日本で「傘パクり」が横行している証拠なんて、ググればすぐに出てくる。

 

というのも、ウェザーニュースの『傘調査2017』によると、65%(母数73,000)の人が勝手に傘を使われた経験があるとし、しらべぇの調査では、20.3%(母数600)の人が傘をパクったことがあると告白しているのだ。

 

傘をパクる動機には色々あるだろう。

その日傘を持っていなかったから、自分の傘が壊れたから、自分のが安物だったから・・・どれも大変良くない動機だ。

 

でも、ぼくはもう一種類、動機が存在することに注目した。

 

ある1人のぼくの友だち(Aくんとする)は、自分が傘をパクった経験を話してくれた。

その動機は、「傘をパクられたから、パクり返した」というものだ。

他人の物を奪った時点で、立派な窃盗である。これが良くないことはもちろんである。

でも、このAくんはパクられた側でもあることに注目すると、

Aくんは(おそらく)傘をパクられなかったらパクっていなかったのである。

でも「このままだと雨に濡れてしまうから、人のものを盗ってもいいや」と思ってやってしまったのだ。

 

だから、単に『自分の傘を持っていなかったから、パクった人』と同列に扱うのは、少し可哀想な気がしないでもない。

 

残念ながら世の中はいい人ばかりではない。

『傘パクり』から身を守るには、傘をきちんと管理するくらいしか手立てはないだろう。

 

だがこの記事で申し上げたいのは、『傘の管理について』ではない。

ぼくが言いたいのは、この『傘のパクり合い』は【不幸の連鎖】じゃないか、ということだ。

パクられたから、パクりかえす。それでパクられた人が、また他の人の傘をパクる・・・

先ほど挙げたデータでもわかる通り、日本ではこの『不幸の連鎖』が、横行してしまっている。

傘の「安価さ」、コンビニや100均で手に入るという「手軽さ」からくる『傘くらいなら盗ってもいいでしょ』という傘への軽視、モラルの欠如が、この不幸をゲリラ的、かつ連鎖的なものにしている。

 

ぼくは、こんな日本の『不幸の連鎖』が嫌だから、Spreading loveというアートプロジェクトを通して『愛の連鎖』を起こすことに協力する。

 

世界には【Pay it forward】、和訳すると【恩送り】という素敵な文化がある。

恩送りは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ることだ。

 

モノ・サービスとカネで成り立っている資本主義。

すぐに対価を求める『ギブアンドテイク』が当然の世の中であるから、この『恩送り』はピンとこないものかもしれない。

 

 

でも『恩送り』をすることで、現在失われがちな人との最高の出会い・経験が待っている。

 

鶴の恩返しという昔話があるように、日本には【恩返し】は定着しているけれど、恩送りはまだまだ定着していないというのが現状だ。

 

恩送りの社会を作って、人のつながりの大切さ、偶然のしあわせを感じられる世の中にしたい。

 

Spreading love、今回は名古屋のほか東京、山梨、東北、マレーシアで開催予定です。

開催は1/20。傘は要らなさそうです

詳しい情報はこちらのFacebookでどうぞ。