ゲーム説明書の電子化から感じる、「何か」を失った感じ。

ゲーム説明書の電子化から感じる、「何か」を失った感じ。

考えごと

 

ゲームの説明書について、思うことを書こうと思う。

 

 

ぼくの初めてのゲームハードは、ゲームボーイアドバンスSPだった。

クラスのみんなが持っていて、ずっと欲しかった任天堂のゲーム。

母親は教育熱心で、ゲーム反対派の人間だったのだけれど、ぼくのしつこいおねだりに根負けして、ついに買ってもらえることになった。

[s_ad]

買ってもらったゲームソフトは、当時流行っていた『ポケットモンスターリーフグリーン』

 

 

でも、そこは教育熱心な我が家。

ゲームは1日30分までと厳しく制限されており、なかなか進めることができなかった。

 

 

ゲームは触らせてもらえないけれど、ポケモンの世界に触れていたい。

厳しい家の中でも、ぼくはゲームの事ばかり考えていた。

 

 

そこで取った行動—それは、説明書を徹底的に読み込むことだった。

 

 

暇な時を見つけては、すぐにリーフグリーンの説明書を読んでいた。

小さくて隠しやすかったから、勉強のフリをして読んだり、トイレに持ち込んで熟読したりしていた。

そんなこんなで、説明書を使って、常にゲームに飢えた自分の気持ちを高鳴らせていたのである。

 

 

もう一つ話すと、リーフグリーンをクリアした1年くらい後、

のどから手が出るほど欲しかった『星のカービィ鏡の大迷宮』を買ってもらえた。

 

 

近所のヤマダ電機で買ってもらったのだが、その帰り道の車の中でのウキウキは、15年たった今でも鮮明に覚えている。

 

 

—車に乗り込むやいなや、周りの薄いビニールをひっぺがし、箱を開ける。

ゲーム機本体は家においてきたから、とりあえず家に着くまでの10分、ゲームは起動できない。

 

 

その10分間でしたことは、取扱説明書でのゲームの予習である。

隅から隅まで、読みあさった。カービィの操作方法を頭に叩き込み、何度も何度もイメージトレーニングを繰り返した。

 

 

そしてマンションに帰るやいなや、階段を3つ飛ばしで駆け上がり、家に帰り、部屋に滑り込む。

それからのぼくの1日は、カービィに染まった。(ピンクの悪魔め。)

 

 

—リーフグリーンと鏡の大迷宮で体験した、あのどうしようもないウキウキ。

今の子は分からないものだと思うと、少し不思議である。

 

[s_ad]

 

【ゲームの説明書について思うこと】

 

 

3DS以来、現在のゲームには説明書がついていない。

というのも、紙のものはほとんど廃止されて電子版になっていて、ゲームソフトの一部として組み込まれている。

 

 

もちろん、電子版を否定するわけではない。

コスト、内容の正確性、携帯性が改善することは大きなメリットであると思うし、時代の流れだからしょうがない。

 

 

でも電子版にしたことで、

紙の説明書でしかできない、ゲームができない時間に説明書を読む、あのウキウキを感じることはできないのだ。

 

 

これはテクノロジーの進化による、数少ない弊害のひとつなんじゃないかな。

 

 

紙の辞書とか、紙の本とか、紙の手紙とかが電子化(ペーパーレス)になってきたことによって、『味がなくなった』とよく批判される。

 

 

ゲームの説明書の電子化は、それとよく似ている。

いや、上に挙げた『味がない』以上の意味を持つと思っている。

昔はあったはずのワクワクを、子どもから奪っているのだから。

 

 

ゲームの説明書—ぼくにとって、夢が詰まった魔法の一冊であった。

今思えば、説明書だってゲームのコンテンツの一部だった。

 

 

だからこそ、ゲームの説明書の電子化は時代の流れとはいえ、少しさみしいものである。

 

 

便利になりすぎたことによって、何かが失われる、そんな感覚。

ゲームを通じても、感じている。