『ファッションモデルは、みんな格好いい。』
それは、世の中で当然のこととして受け入れられてきているように思う。
メンズもレディースも、写真を見ると、スタイルが良かったり顔が良かったり。ぼくら凡人では、とても敵わないような格好よさがある。
たとえば、日本が誇る巨大企業、ユニクロの店頭に並んだ、商品紹介の被写体はかっこいい外国人が多い。

ZARAとか、H&Mのホームページを見てもらえれば分かるけど、大抵の企業の商品着用例には、スタイルと顔の良いファッションモデルが起用されている。
メンズ・ノンノの表紙も、坂口健太郎とか、成田凌とか、必ず売れっ子モデルの男性だ。
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これを見て感じていること—
結論から言うと、アパレルの販売店は、商品着用例の被写体として、一般人も起用して宣伝していったほうが良いんじゃないか、ということ。
もちろん、「ファッションモデルを使うな」とは言わない。
被写体として一般人だけを使うというのはあまりにぶっきらぼうだし、ブランドイメージが下がってしまう。
商品の見栄えを良くするためにも、ファッションモデルが広告宣伝の看板として登場するのは全然いいと思う。
でも、スタイルも良くて、体型も良いファッションモデル『だけ』を広告の着用例に起用するという業界の常識は、結果的に大きな損失をもたらしているのではないかと思うのだ。
理由は簡単で、人間でファッションモデルのようにスタイルが良くて、顔がいい人なんて限られているからだ。『胴長短足・童顔』で有名な日本人は、なおさらの話である。
買ってもらう消費者—つまり訴求する対象は『胴長短足・童顔』なのに、着用例にスタイルがいい人を使ったって、彼らに商品へ関心を向けられるわけがない。
雑誌はこれでいい。
なぜなら、ファッション誌がもつ一番の役割は『流行の創出』であり、『服を売ること』ではないからだ。
また、「そのブランドの服を買う際に、『雑誌を見る』という行為は必要ない」「掲載されているモデルの写真がかっこいいから買うという需要もある」という理由も考えられる。
だから、ファッション誌の着用例としてファッションモデルを起用するのは、どちらかというと有効であると思う。
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でもアパレルの販売店の役割・目的は『服を売ること』だ。自社の商品が売れないと、その会社は潰れてしまう。
だからアパレル業界は不振だ!とか嘆いてないで、『服を売るためにはどうアプローチすればいいか。』を、業界の常識を疑うところからもう一度考えるべきだと思う。
その方法の1つが、『着用例に一般人を起用する』なのではないかなと思ったわけです。
例えばの話をする。
今、『商品レビュー』が重要視されたり、『Wear』というサービスが流行している。
商品レビューは、第三者がその使用感を書き込む行為。(『商品レビューを書くと〇〇プレゼント!』とかいう商品が増えている。)
Wearは、いわゆる『素人』のファッションコーディネートが掲載されたサイト。
両方に共通していることは、情報に信頼性があることだ。「私達一般人が使うと、どうなのか」ということを分かりやすく教えてくれる。
これ以外にも色々あるけれど、現状、とにかく情報の信頼性は本当に重要だ。
いくつかのアパレル販売店のネット通販では、第三者の情報を掲載するために『商品レビュー』という形が取られているけれど、
それ以外に『信頼性のある情報を提供する』手段として、【一般人を使った着用例の掲載】という手法があるのではないかと思った。
世の中、スタイルのいい人ばかりじゃない。若くて、かわいい人ばかりじゃない。
人口の絶対数的には、圧倒的に『初老のおばさん』や『ヨボヨボのおじいさん』『小太りのお父さん』の方が圧倒的に数が多い。
そんな彼らに訴求するには、自分により近いモデルを使って、『自分と重ね合わさせる』という魅せ方もあると思うのです。
まだまだ、『素人感』が足りていない。
【ファッションモデルが着て、めちゃかっこいい服】より、【大して見栄えの良くない一般人が着ると、わりとかっこよくなる服】のほうが僕は圧倒的に魅力を感じるのです。
そんな時代が、もうすぐやってくることを期待しています。