2年前くらいに私にとっての(ミラーレス)一眼レフカメラ初号機、
OLYMPUSのPEN E-PL6を買ってから、カメラで写真を撮ることが趣味。
『人』と『食べ物』を撮るのが好き。
Instagramもよくやってるので、良かったら見にきてください。
それはさておき。
さて、これはなんでしょう?
答えは『汚い机の上においた、カントリーマアム』。
素人なので細かいテクニックはよく分からないけれど、個人的に気に入っている写真。
自然光とか諸々の条件が良かったのかもしれないけれど、
ただのカントリーマアムを、ただの素人が、たったの40,000円のカメラを使ってこれくらいのクオリティで撮れる時代。すごい。
こういうところでも、ぼくたちはテクノロジーの進歩の恩恵を受けているのだなと思う。
ぼく達の世代は、写真が身近にある環境で育ってきた。
フィルム写真・ガラケー時代から
デジカメ・スマホ時代・・・
こんな、写真が爆発的に普及した時代に育ってきた。
言ってしまえば、デジタルネイティブならぬ『フォトネイティブ』。
写真がこのように爆発的に普及しているのは、人類の歴史から見てもかなり異質な時代なのではないかと思う。
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そういえば、写真って四角いよね
先月くらいに、グーグル画像検索を眺めながら、ふと思ったこと。
「なんで写真は長方形なのだろう」。
普通に生活していれば、素通りしてしまいそうな、『何気ない』疑問だった。
だって、カメラのレンズは丸い。
光を取り込んでいる媒体が丸いのだから、丸い写真があったって不思議には思わないはずなのに。

当たり前だけど、写真って四角いよね。なかなか閃かないであろう質問。
でも、『なかなか閃かない』、それが理由である気がした。
つまり、
- 平然と受け入れられる。
- 当然「そういうものだ」と思われる。
それが、『写真が長方形である』理由ではないだろうか。
というのも、写真はあくまで被写体(コンテンツ)が主役。
例えば、風景撮影だったら自然や建物だし、テーブルフォトだったら雑貨や食べ物だし、ポートレートやスナップだったら人物が中心だ。
だから、その『枠』が作品を邪魔してはならない。
『枠』は、存在感を消していなくてはいけない。
動画、ディスプレイにおいてもそうだけど、主役は、あくまで『コンテンツ』。
では、その『枠』がもっとも存在感を見せないためにはどうすれば良いだろうか、と考えると、四角形である理由が見えてくる。
『長方形』。
これは、4つの角がすべて等しい四角形。つまり、直線と直角で構成されている図形である。
『直線』は、もっとも汚れのない、シンプルで素直な線だと思うし、
『直角』は、水平線を二等分することによってできる、もっとも他を邪魔しない角度だと思う。
それによって出来上がるのは、二組の水平線。
=(イコール)の記号の起源で聞いたことがある。
「長さの等しい平行線ほど、等しいものはない。」
— ロバート・レコード「whetstone of witte」(1557年)
長さの等しい平行線の飾り気のなさ、完全無欠な形こそが『長方形』なのではないか。
本当の『写真が四角形である理由』は、写真を裁断を容易にするためとか、センサーの製造工程の問題とか、そういうのが俗説とされているようだけれど。
さらに深掘りすると、「なぜ正方形ではなく、長方形なのか」とかそういう疑問が浮かぶ。
それはきっと、正方形の画角は作品を単調にしてしまうからだと思っている。
つまり、
- 飾り気が無く美しい、主役を邪魔しない形だから。
- 正方形よりも表現の幅が広がるから。
という結論に至った。
・・・あの流行語大賞を取ったSNSは、画像の表示に正方形を採用しているけれど、これにもきっと理由がある。
画像を正方形で表示し、視覚的な情報をできるだけ削ぎ落とすことによって、使い手が『気軽に眺められること』を可能にしたのではないか。
SNSは、使い手に負荷がかからない方が流行しやすい。Twitterだって140字の文字投稿だし、Facebookも気軽に友人と交流ができる点で優れている。
Instagramも表示を長方形にしていたら、今ほどの勢いはなかったかもしれない。
そう考えると、ちょっと面白い。