知らない間に、テレビが見られなくなっていた ——若者のテレビ離れの正体を、若者視点で申し上げます。

知らない間に、テレビが見られなくなっていた ——若者のテレビ離れの正体を、若者視点で申し上げます。

考えごと

10月に映像製作に関わり始め、
様々な映像や動画に触れるようになった。

映像や動画の分野でのトレンドを知り、
構成がどうなっているかを頭に入れるためである。

YouTube、Netflixはもちろん、TVerやHuluなどを用いて、
効果的にコンテンツを吸収する日々が続いた。

さらにGoogle Chromeの拡張機能・Video Speed Controller を使い、
コンテンツを2倍速で圧縮して効率化を図る、そんな日々が続いた。

そうして、3ヶ月が経った。

そこには、テレビ番組を見ることに
耐えられなくなった自分がいた。

昔は大好きだったテレビ番組。

なぜ、視聴に耐えられなくなってしまったのだろう。

『好きなときに好きなコンテンツを、
好きな場面から見ることができる時代』に生きる僕らにとって、
今のテレビはどう感じるのか。

ここに『テレビ離れ』のヒントが隠されている、そんな気がした。

以下は、年末年始にテレビの番組を見ていて気づいたことである。

▼画面の中に多人数がいると面倒くさい。

アメトークや、紅白歌合戦、ガキ使、24時間テレビなど、
多くのバラエティ番組では多人数の芸能人を起用する。

俗に言う、”ひな壇”というやつ。

人が多すぎて、話せていない人が大勢いる
<アメトーク公式YouTube ametalknetmovie>

人が多くてコンテンツが面白くなるのならそれで良いけれど、
そうとも限らない。

人が多いからといって放送時間が伸びるわけではないので、
必然的に1人あたりが持つ時間は少なくなるわけだ。周りの個性が強い中、
少ない時間でアピールするのは至難の技。

時に、自分の身の丈にあっていないことを言ったり、
あまりに理不尽なことをしてでも
自分の存在をアピールする必要がある。

(かといって、これは仕方がない。弱肉強食の世界だからね。)

対して、今のコンテンツは違う。

例えば、今や世界的人気コンテンツの1つであるNetflixのテラスハウスは、
出演者は12人(スタジオ6人、居住者6人)。

テラスハウスが誇る最強の面子。
<Netflix Japan 公式YouTube>

水曜日のダウンタウンのスタジオには6人。

マツコの知らない世界は2人。

孤独のグルメの主演に至っては、たったの1人である。

そして、これらの番組はとても面白いと思う。

人が少ないからこそ情報が引き立ち、一人ひとりの個性が活きているのだ。

芸能人を呼ぶということは、
その芸能人たちにギャランティーが発生しているということでもある。

そして、人件費ほど高いものもない。

素人目から見ると、『芸能人集合』のような番組は、
『費用対効果』が悪すぎるのではないだろうか、
とどうしても思ってしまう。

▼映像を最初から見ることができない

好きなときに好きなコンテンツを、
好きな場面から見ることができる時代。

普段から自分たちがやっているように、
ネット上の映像や動画は、
コンテンツを選択次第、その映像の最初(0:00)から楽しむことができる。

対してテレビはというと、
番組が始まる時間にテレビを見ない限り、
番組を最初から楽しむことはできない。

当然だが、
コンテンツを見るときはことの発端から、顛末まで楽しみたいものである。

ストーリーの全体を知りたいし、
情報が抜け落ちていると、
面白いところが面白く無くなってしまうことも多いからね。

これは、テレビというものの構造上仕方のないことではある。

しかし『最初から見ること』に慣れた人が増えてしまった以上、
最初から見れないというのは、
コンテンツの再生装置として致命的な欠点。

転じて、
『途中から見る人』を上手く話の流れに合流させてあげる工夫が、
昔よりもより一層求められているのかなと感じる。

▼途中で長いCMを見させられるのがストレス

これも、テレビという広告費ビジネスの仕組み上仕方のないことではある。

ただやはり、『CMがあること』が、
テレビの短所になってしまうことは否めない。

CMの何が害なのは長いだけではない。
いつ終わるのかわからないことだ。

また、CMというのは広報活動の1つで、
「何かを売る」ために放映されることがほとんど。

だからか、視聴者の印象に残るような主張の激しいものが多い。

そんなものがコンテンツの合間に頻繁に流れると、
『コンテンツへの没入感』は大きく失われるのは明らかである。

▼多すぎる、『視聴者の離脱を避ける』演出

テレビは、注目のコンテンツを後へあとへあとへと引き伸ばし、
視聴者の離脱を防ごうとする。

「続きはCMのあと」というのが、その典型的な例。

(自分はこの演出が大嫌いだ。見ただけで萎える。)

クイズの答えとか、コンテンツのクライマックスとかの前に挿入されるけど、

3分待つほど、その先に興味がないことがほとんどだ。

オンデマンド配信を見れば必要な部分だけ見ることができるし、
結果を知るだけならSNSやネットニュースを見れば良い。

「続きはCMのあと」だけではなく、

「このあとすぐ」と言う表現もこれに値する。

例えば日本代表のサッカー中継や、
フィギュアスケートの中継なんかでよく使われる手法。

本当に「このあとすぐ」放送されるものだと思わせ、
視聴者を『テレビを見続けざるを得ない状況』に置かせる手法。

これを繰り返されることを、好むものはいない。

これは、広告をぞんざいに扱っているという点で、
スポンサーに対して失礼でもあるし、

単純にこの表現に飽きた。

「早く、次を見せろよ」って思ってしまう。

YouTubeは、長くても15秒待つだけで、次を見せてくれる。

情報入手の手段が手軽で、多様化したからこそ、
テレビはこんなことをしていていいのか?と疑問に思う。

▼番組コンテンツのマンネリ化

アメトークの運動神経悪い芸人、
よゐこの無人島生活、
大晦日のガキ使。

もう何回もやっているコンテンツ。
それらは単純に、見る気が起きない。

<http://archives.bs-asahi.co.jp/mujintou/>
<公式YouTube ametalknetmovie>

かつては、惰性で見る
—つまり、「正月といえばコレ!」という恒例行事化
という見方も悪くなかったのかもしれない。

けれど今はもう、
『好きなときに好きなコンテンツを、
好きな場面から見ることができる時代』だ。

ゲームとか、音楽フェスとか、娯楽だって多様化した。

『復刻』は価値があるけれど、『リピート』はよくないのではないか。

過度なリピートは見ている者を飽きさせてしまい、
そのコンテンツをもダメにしてしまうと思っている。


そんなこんなで、最近のテレビにはコンテンツとしての『没入感』が全くない。

テレビ局にはおそらく、色々な『権利に関係するしがらみ』があり、
度々『妥協』を強いられていることがある。

俳優女優の番宣や、スポンサーの協賛など、
色々なものにがんじがらめになっているのが伝わってくる。

またテレビは、『やらせ』も問題になってきている。
『イッテQ』や『ほこたて』が炎上したことは記憶に新しい。

長い歴史で日本の中心メディアだったのだから、
構造が複雑になるのは仕方がない。

ただ事実として言えるのは、

そんな『嘘の塊』を見ているよりも、
『親近感』の湧くコンテンツを見ていたほうが受け入れられてきているということである。

水溜りボンドや東海オンエアのように、
資金力がそれほどなくても、
嘘や隠し事が一切ない人たちを応援していた方が、楽しいし清々しいのだ。


自分はきっと、合理性を求めすぎている。

「CMだって面白い」「テレビなんてのんびりみればいいじゃん」と言う人もいるだろうと思う。

先に挙げた自分の意見は、極端である可能性が高い。

ただ、これらに近い感覚を持っている若者は一定数いると思うのだ。

若者がテレビを持たなくなってきていることは紛れもない事実。

スマホが普及してスキマ時間を埋めたことで、
より密度の高い情報を求めるようになったことは間違いない。

そんな中、先に挙げた特徴を持つテレビ。

見なくなっても仕方がない。

いつまでも「若者のテレビ離れ」なんて嘆いていないで、
持ち前の技術と資金力で、
より良いコンテンツ作りを提供することに注力すべきだと思う。

YouTubeもいよいよオリジナルコンテンツを作り出し、

テレビのリモコンにはNetflixのボタンが埋め込まれた。

5Gがそこまで迫ってきている今、
テレビ局は手を打っていかないと
ますます手遅れになってしまうのではないか。

若者の大半は、声を上げないまでも
近いことを思っていると推測する。